これからの日本のモノづくりのために “勝ち負け”よりも“技術”を!

“モノづくりのイノベーター”にスポットを当てる「People Plus」。今回は、大阪日本橋の電気屋街で、電子機器製品のベンチャー、株式会社ダイセン電子工業を経営する、代表取締役 蝉 正敏さん(66歳)が登場。ロボットに魅了され、今では大阪を代表するロボットづくりの第一人者として知られ、未来のエンジニアを育むべく、子どもたちに“マイコン”を使った電子工学やロボットづくりの伝道師としても活躍する。そんな蝉さんに、ロボットの魅力について伺った。

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“マイコン”が生まれた年、社会へ飛び出したロボット伝道師

1970年、日本で初めて万国博覧会が開催されたこの年、アメリカのインテル社の手で「Intel 4004」と呼ばれる世界初の組込型プロセッサ、通称“マイコン”が誕生した。それと同じくして、蝉さんは小さな電気機器設計会社に就職。技術者として社会人の仲間入りを果たし、日本のモノづくりに携わっていく。

「マイコンと共に技術者として生きてきたことになりますが、我々が気軽に手が出せるまでには随分と時間がかかりました。当時は相当高額なものでしたしね。けれど、技術革新してくれたおかげで値段が下がり、それが起業するきっかけになったんですよ」。

「Intel 4004」が登場してきて以降、日本のモノづくりに占めるマイコンの依存度は高まっていき、また、それを加速させるかのように「Intel 8008」、「Intel 280」と次々に演算スピードを向上させたマイコンが登場していった。

 

“不変”と“進化”に後押しされた技術ベンチャー

高度経済成長がひと段落してから、欧米からやや遅れをとっていた日本製品。それが世界を震撼させていく80年代、蝉さんも開発の最前線にいた。

「私の専門は半導体の検査装置なんですが、同時にテレビやビデオに使われるリモコンの設計も大手家電メーカーから受託していたんです。検査装置もリモコンも赤外線を送受信してマイコンで制御するというモノづくりでしてね。いまだに仕組みは一切変わっていないんですよ」。

それだけでなく、高嶺の花であったマイコンは進化に進化を遂げ、ようやく一般的にも手に入れやすいものになっていった。さらに時代はバブル経済真っ只中。もう迷うことはなかった。そして1987年、ついに蝉さんは起業を決意する。それが現在の株式会社ダイセン電子工業である。

 

1台から作る、世界で初めてのリモコンメーカー

いくらマイコンが手に入りはじめましたといっても、パっと出のベンチャーが大手メーカー並みの製品を生み出すことなどできない。零細企業ならでは戦略はどうすべきか、蝉さんがモノづくりをしながら、事業について試行錯誤していた。

「検査装置メーカーとして起業したんですが、創業した当初は受託でいろんなモノづくりをしていたんです。そのひとつに、照明メーカーさんから展示会用に50台だけ作ってほしいという依頼がありまして。この仕事でこれならビジネスとして成立すると確信を持ったんです」。

蝉さんたちは日本橋の電気屋街を走り回り、リモコンのジャンク品を買い集めにかかった。オーディオ用、ビデオ用、テレビやエアコンなど、筐体デザインもバラバラのリモコンを分解し、照明用リモコンに改造していく。

「赤外線を使ったリモコンの技術は、昔から一切進化していないんです。そのおかげで、ジャンク品を改造するだけで照明メーカーさんの依頼品は納品できたんですよ。実は少ロットのニーズってあるんじゃないかと思いましてね」。

少量のリモコンを手掛ける企業がないことに気づいた蝉さん。これをきっかけに、20~30室しかない小さな旅館やビジネスホテル向けにペイチャンネル用リモコンをつくり、電波が使えない医療現場向けに、レントゲン技師の被ばくを防ぐリモコンの作製や眼科や眼鏡店用の検眼器のリモコン化などを手掛けていった。こうして、大手には対応できない少ロットニーズに対応し、ダイセン電子工業=リモコン屋という図式を確立。1つ500万円はくだらないと言われる筐体用の樹脂金型も27年かけてコツコツと製作し、今では2キーから70キー用までの金型を確保。リモコンのイージーオーダーを可能にし、技術力だけでなく、製造体制にも力を入れてきた。

「相手は、壊れたら1つだけほしいんですよ。こちらも零細企業ですから、それがよくわかるんです。それに応えられるメーカーというのが私たちの強みなんですよ」。

 

憧れの雑誌“トランジスタ技術”の広告戦略

とにかく自分たちの製品を世に送り出したい。その気持ちだけで起業したという蝉さん。創業当時から10年ほどは、とにかく商売を軌道に乗せようと毎日終電の時間まで黙々とモノづくりに励んでいたという。

「トランジスタ技術という、世界で唯一のハードウェア雑誌がありましてね。それに製品の広告を出すのが夢だったんです。自分たちが作った電子パーツを広告して売る。当時から、秋月電子さんの大々的な広告を見て、憧れていたんですよ。『絶対勝つぞ!』と意気込んだんですが、4ページの広告を出すのが限界でしたね(笑)」

長年、大手の下請けとして設計を続けてきた蝉さんは、受注して作るものを少なくして、作りたいものを作って売っていくというスキームを確立したいと思っていた。こちらからわざわざ作らせてくれというようにしなくてもいいように、小さくてもメーカーとして、マーケットに発信していけるモノづくりをしていく。そんなモノづくりの姿勢を、ある人たちが注目していた。

 

子どもたちのために、ロボットを作ってもらえませんか?

ダイセン電子工業の本社は、大阪の日本橋。ここは関西の秋葉原的な電気屋街(でんでんタウンと呼ばれる)。そのほとんどが家電やパーツの小売店。そこに、とある中学校教師が足を運び、でんでんタウン協栄会(街の組合)にロボット製作の相談を持ちかけてきた。「生徒たちをロボカップ(ロボットを使ったサッカー大会)に出場させたいので、競技用のロボットを作ってもらえませんか?」と。でも、パーツの提供はできても、製作する術がないと困り果てた組合が声をかけたのが、蝉さん率いるダイセン電子工業だった。

「日本橋は“売る”という商売の街ですからね。メーカーとしてやっているのはうちくらいだったんです。話をもらったときは、ようやくうちにもこういう話が来るようになったかと二つ返事で快諾しましたよ」。

もちろん、技術力を買われたこともあったが、快諾したのにはもう1つの理由があった。それは、ロボカップの世界大会が、大阪で開催されるというのに、大阪製のロボットがないということだった。

「開催地のロボットがないなんて屈辱です。大阪には電気の街、日本橋があるのにそこで何もできないなんて。だから意地でも私たちがつくらないといけないと思ったんです」。

大会は2005年、完成までには1年と少ししかない。けれど、蝉さんたちには秘策があった。それが長年携わってきたマイコンの技術と知識だった。

 

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クリスマスプレゼントはロボット第一号機

ロボットをつくってみたいという想いは、組合から話がある以前からあったという。

「会社をつくってから、毎日終電まで働き詰めだったでしょ。だから夕食を社員たちと早めにとることが多かったんです。ある日食事しながらテレビを見ていたら、全国の高専対抗のロボットコンテストが放映されてましてね。それを見ながら、俺たちもあんなの作れるのになぁ、作りたいよなぁとか、よく話していたんですよ」

作ったものの活躍を見てみたい。実は、蝉さんたちにはその経験がほとんどない。一度納品してみれば、一生その製品を見ることなどない。だからこそ、できあがったものが活躍する姿を目の当たりにできるロボットに、とても魅力を感じていたのだ。そんなときの製作依頼は願ってもないチャンスだった。

「忘れはしませんよ、第一号機ができあがったときのことを。2004年のクリスマスイブでしたね」。

サンタ・クロースは本当にいた。というか自分たちだった。ボールをめがけて正確に走り出す大阪製ロボットの姿。ここから新しいダイセン電子工業が始まることになった。

 

技術者を育てるために、ロボットをつくろう

2005年5月、大阪製ロボットがロボカップジュニア部門に出場し、見事2位の成績を収めた。これをきっかけに、競技用ロボットだけでなく、教育ロボットの製作に着手することになった。

「うちが作ったロボットを技術家庭の教材で使いたいという依頼が来ましてね。でも、どう安く見積もっても部品だけで3万円はかかってしまうんです。中学生が教材で使うのには高すぎますし、教育委員会も頭を悩ませていましたよ」。

協力はしたい。けれどダイセン電子工業は企業。赤字では事業ができなくなってしまう。そこで、徹底的に競技用ロボットをデチューンして、廉価版ロボットを製作した。

「苦労しましたよ。モノづくりでビジネスをしているものですから、設計しながらその利幅を考えてナンボの仕事をしていましたからね。自分たちがやりたい納得のいくモノづくりがしたいから起業したのに、その真逆の発想でロボットを作っていくわけですから」。

でも、この仕事から蝉さんたちの考え方が少しずつ変わり始めていった。これからの若い世代を作り、日本のモノづくりを、元気のない関西のモノづくりを、そして大阪、日本橋の電気屋街を盛り上げていくことも大切な仕事だと。そして新たなプロジェクトをスタートさせることになる。

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“勝ち負け”よりも“技術”を

教育用ロボットが学校の教材として使用されていく中で、はたしてその仕組みや理屈が子どもに伝わっているのかという疑問は正直なところあった。中でもマイコンについて解説・指導することは先生では難しいと蝉さんは感じていた。そこで経験の浅い技術者向けにマイコンの講習会の開催や、子どもたち向けにロボット作りの場を提供することにした。特にロボット工作教室では、『教えない』『勝手に来て、勝手にやる』を実践する。

「基準にしているのは私自身なんです。興味のあることは自分で教えてもらおうとするし、いろんなことを調べて切り開こうとする。無理にあーだこうだ大人が指導したところで、興味がなかったら、何も残らないものです。学びとはそういうものでしょ?学校ではないですし、教えられる技量もありませんしね」。

ロボカップで世界一を目指すことも当然すばらしい。けれど蝉さんは、勝ち負けよりも技術を教え、それを学ぶものにしてほしいと願う。というのも、世界大会で見てきた戦いは、勝つことに必死になる国が多いから。もちろん目標は高い方がいいが、本質は技術を学ぶことだと蝉さんは考えている。

 

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ピットに立つ人、それを支える人、どちらも育てていきたい

大阪の人間で電気に携わるものとしては、日本橋を原点にしたい。そんな想いで本社を抱えるダイセン電子工業は、電気屋街としての日本橋の復権にも力を入れる。秋葉原の影響を受け、大阪の日本橋もオタク文化が浸透し、通称オタロードという通りまで現れた。

「対抗するわけではないんですが、モノづくりロードというものを作ろうとしているんです。ただ、ネーミングだけでなくて、商売としても成り立つ通りにしていきたい。だから経営も学んでもらえるものも用意しているんです」。

街が活性化することは、そこに人々が集い、人々が潤うことだと蝉さんは語る。マイコンが手に届かなかった時代と違い、誰でも買えるほど安価になったマイコンと、家に転がっているパソコンを使えば、子どもたちでのロボットが作れる。そんな恵まれた時代だからこそ、将来を担うエンジニアの卵たちが集える街にしていきたい。2050年、ロボカップはワールドカップの世界一のチームとロボットの対決で勝利することを目指している。そのとき、この日本橋の街で学んだ子どもたちが、街の大人から学んで作りあげたロボットでピッチに立っていることを想像するだけでも鳥肌が立つ。けれど、蝉さんは思う。ここで学べたことを喜び、この街で再び後世に技術を継承していく、そんなベンチャーを立ち上げる青年たちがいてほしいと。そのときのモノづくりロードが見られるまで、あと36年。その頃のロボット伝道師は112歳になっている。

 

 

 


 

大阪南港ATCに、ミナミのモノづくり集団が初めて集結!

 

2014年10月11日(土)・12日(日)に、自分たちでオリジナルに製作した「もの」を発表する、関西初のメイカーズ・イベント「メイカーズバザール大阪」が大阪南港ATCで開催されました。大人から子どもまで、3Dプリンター、レーザーカッター等の工作機械や電子部品、ソフトウェアなど、腕に自信のある50組の関西のものづくり人間=メイカーズが集まり、その技術力とアイデアを披露。即売可能な製品も多数展示され、そこで蝉さん率いる、ダイセン電子工業のロボカップブースも出展。大手だけではなく、1個から「ものづくり」を楽しめるこの時代、誰にでもチャンスを感じられるこのイベントは、半年ごとに開催が予定されています。

 

近未来を予感させる巧みかつ奇想天外なデバイスがズラリ

出展物の中での特に注目が集まっていたのは、来場者が実体験できる各ブース。次世代VRヘッドマウントディスプレイ『Oculus Rift』を使い、ユニークなアプリの体験には列ができていました。オリジナルゲームの体験や草食動物の視界を模した超広角ディスプレイなど、新たなモノづくりの可能性を予感させる出展が多数見られました。その中でも一際注目を集めていたのが、こめかみの微弱電流で動く『筋電位電動車イス』体験ブース。手を触れずに歯を噛み締める際の、こめかみの筋肉の動きで電動車イスを動かすというもの。左の歯を噛むと左に曲がり、両歯を噛むと前進するなど全方向に移動が可能。マウスをクリックするように歯を噛みしめるという未来の操作方法に、来場者も驚きを隠せなかったようです。

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3DプリンターやRaspberry Piなど“自作派”向けブースも盛況

やはり常に人集りが絶えなかったのは“自作派”向けブース。3Dプリンターのブースでは、一般家庭用の低価格プリンターの展示をはじめ、プリンターそのものを自作してしまうキットまでもが登場。その精度の高さを利用して作られた自作パーツの作成や、iPhone向け製品などを出展するアーティストたちも参加。また最新の電子工作の主流といえるRaspberry Piを使ったレーザープロジェクションをはじめ、Pi Relayと呼ばれるオリジナルのRaspberry Pi用拡張ボード(サーボモータ、DCモータ制御 A/D、D/A 変換等が行える)の即売ブースには多くの自作派たちで賑わいを見せていました。

次回開催の日程はまだ未定ですが、2015年の春以降の開催は計画されているようで、さらに多くの関西のメイカーズたちの出展が期待されています。詳しくは『メイカーズバザール大阪』Webサイトまで!

 

メイカーズバザール大阪

http://makersbazaar.jp/

 

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電子工作マニュアル Vol.5