【現地レポート】深圳・珠江デルタ製造業の独自のイノベーションの秘密に迫る

「世界の工場」と呼ばれる深圳を中心にした、珠江デルタの製造業は、世界に類のない自然発生したオープンなエコシステムを築いている。
ソフトウェア、たとえばインターネットサービスの開発とハードウェアの開発では、アクセスできるリソースが大きく異なり、それが個人や小企業による独自のハードウェア開発を難しくしている。なぜか中国/深圳の周辺からは、社員数名・数十名の小企業が携帯電話のような複雑なハードウェアを開発し製造することが可能になっている。「世界の工場」深圳の産業集積と、ムーアの法則による半導体の進化が生んだエコシステムは、イノベーションと知財保護について別の視点を与えてくれる。

■ハードウェアの知財シェア 深圳の公板(GongBan),公模(GongMo)
インターネット上のソフトウェア(webサービス)を開発する場合、現代では多くのオープンソースのモジュールやAPIを使い、組み合わせる形を取る。データベースソフトやWebサーバといったミドルウェアから、デザインのテンプレートまで、オープンソースのものをまず探し、それらを繋ぐ部分を自社開発する。Webサービスの開発は、構築と呼ぶことも多く、組み合わせによって作られることが言葉にも表れている。
一方でハードウェアの製品、たとえばスマートフォンを開発する場合はQualcomm社のSnapdragonシリーズなど、通信機能/計算/画面表示などのスマートフォンを作る上で重要な機能群を1つのチップに統合したSoC(System on Chip)を決め、MediaTek社のようなチップ開発会社と開発基本契約を契約してから開発にかかる。基本契約にはかなり大きな最低購入数量が求められる。勢いとプロジェクトは大規模になる。

中国深圳のエコシステムではこのハードウェア製造の仕組みが大きく異なり、2010年頃の携帯電話開発全盛期では2000社あまりの雑多な中小企業が融通無碍な、滑稽にも見えるものも含めた電話機、山寨携帯を開発していた。山寨は梁山泊のような地方のアジトを指す中国語で、中央のコントロールの及ばないところで勝手にやるという意味の言葉、転じてゲリラ的に開発製造される携帯を指す。その後は市場での競争により淘汰と高度化が進み、現在は山寨携帯はホットな市場でなくなっているが、そのエコシステムは今も進化を続けている。
以前デバイスプラスでレポートした深セン華強北(ファーチャンペイ)では、今でも少数ながら山寨携帯を見つけることができる。

山寨携帯

写真に写っているオモチャのようなものはすべて携帯電話。車の形、偽札判別用のIRライトがついたもの、ライター機能付きなど

たとえば深圳まわりでBluetoothヘッドセット、両耳の間にケーブルがない、AppleのAirPodsのようなTrue Wirelessのものを開発しようと思い立った場合、求めるものに近い製品を販売している現地の企業にアクセスすると、設計済みのマザーボードをB2Bで販売してくれる。適合するスピーカーやバッテリなどの部品リスト(Bill Of Material)も添付してくれる。本来はConfidentialなはずのチップのデータシート等をつけてくれることもある。そうした市場調達できるマザーボードを公板(GongBan)と呼ぶ。英語ではPublic Boardと当てる。また、どのハードウェアでも必要となるプラスチックの外装についても、射出成形済みのプラスチック筐体だけを売る会社が存在する。そうしたプラスティック製品は公模(GongMo)と呼ぶ。模は射出成形に必要な金型を指す言葉で、公模(GongMo)の英訳はPublic Moldとなる。マザーボードやプラスチック筐体をパブリックに市場到達できることで、高速な製品開発が可能になる。
もちろん、「求めるモノに近い製品」といってもAppleからマザーボードを売ってもらえるわけではない。HuaweiやXiaomiといった大ブランドでもダメだ。ところが、ほとんどのICT機器はそうした大手メーカーが作ったものにならんで、すぐIDH(Independent Design House)と呼ばれる企業で設計開発されたものが市場に並ぶ。深圳には無数のIDHがあり、どのIDHがどういう製品を設計製造しているかも業界紙やWebサイト、展示会などで可視化されている。

IDHウェブサイト

ほとんどのICT機器は内部のマザーボード、PCBAを個別に買うことができる。EMS企業に組み立てを依頼すれば自社製品がつくれる。

■IDHの登場と隆盛,山寨携帯
ソフトウェアを開発する際に、多くのソフトウェアが共通するオープンソースソフトを使用しても、できあがるWebサービスは多種多様だ。同じカテゴリの製品、たとえば検索エンジンやSNSサービスでもそれぞれ見た目や使い勝手は大きく異なる。目的に近い中間成果物から改善すること、「巨人の肩に乗る」仕組みが有効なのは、どんな設計開発でも変わらない。絵画や音楽でさえ師事やまわりの影響を受ける。深圳まわりではIDHの隆盛により、「巨人の肩に乗る」仕組みがハードウェア開発においても成り立っている。
IDHの源流は1980~90年代、チップを扱う商社から生まれている。商社はチップを売ることで利益を得るが、当時の中国は開発力の乏しい会社が多く、チップそのものを購入してマザーボードを設計できない会社が多かった。Qualcommのようなチップメーカーは新しいチップの開発時に「スマートフォンのCPUとして使うならこういう設計になる」といったリファレンスデザインを発表するが、商社がそのリファレンスデザインをそのまま基板実装して販売することにより、そうした設計能力の乏しい企業でも自社製品を作ることができる。これがIDHの源流になる。そのためIntelやQualcommのような外資系のチップメーカーが多い上海周辺、MediaTek等を擁する台湾の対岸に位置する厦門ほか福建省、そして実際に製造する会社が多い深圳ほか珠江デルタがIDHの多い地域になっている。
こうした公板が一世を風靡したのは、「ひげそり内蔵携帯電話」などの奇怪なもので有名な山寨携帯だ。深圳では、ピーク時の2010年頃には2000社を超える山寨携帯企業が存在していた。その後の高度化と淘汰により、深圳から世界でも知られている会社がいくつも生まれている。

■ムーアの法則が後押しする知財の共有、公開(GongKai)モデル
開発において、知財をどう生かしていくかは、いくつかのスタンスがある。自社内で開発を完結させるのは一つの方法だ。一方でオープン化して多くのプレイヤーを巻き込むことで短期的に利益を獲得する方法もある。
独占に近いモデルは、長期にわたって利益を得られそうな知財に向いている。なのでチップメーカーなどはそうした戦略をとることが多い。
オープン化のモデルは、そもそも長期的な利益が得られづらいものに向いている。ソフトウェアでオープンソース化が行われやすい理由の一つは、変化が激しく知財の寿命があまり長くないためだ。そして、深圳のまわりで作られているICT機器はほぼ半導体を中心にしたもので、ムーアの法則により価格低下と高性能化のスピードが速い。アナログの回路や機構などと違い、毎年発表される新しいSoCが、全体をアップデートし、多少の技術革新は上書きされてしまう。
中国の知財保護が未整備なことは事実だ。ニセモノ天国であることも間違いない。だが、このエコシステムが中小企業にもオリジナルのハードウェアを開発しやすくし、全体の技術革新を加速しているのも事実だ。深圳のハードウェア製造に詳しいアメリカ人のアンドリュー・バニー・ファンは、このシステムを「西欧のオープンソースとは違う成り立ちだが、似たような効果を持つもの」とし、「公開(GongKai)」と定義している。彼の著書「ハードウェアハッカー」(技術評論社)では、この公開方式の効果をこう説明している。

fernvaleについて説明しているバニー・ファン

深圳の公開エコシステムを、西欧のオープンソースの枠組で再実装しようとするプロジェクトfernvaleについて説明しているバニー・ファン(写真中央)。彼は多くのハードウェアを深圳で開発し、またスタートアップに対するメンターシップなども行っている。


ほとんどの西洋のイノベーターと深圳のイノベーターの大きな違いは、深圳ではそれなりの人物はだれもが自分の工場を持っているか、パートナーシップを結んでいるということだ。大金持ちになる最短方法は、より多くの製品を売ることだ。だれが権利をもっているかなんていう抽象的な観念をめぐり口論するなんていうのは、夕食後に白酒で酔っ払ってやればいい無駄な作業でしかない。反対に西洋では、ハンダごてを握ったこともないほど工場とは縁遠いパテントトロール(訳注 自らが保有する特許権を侵害している疑いのある者に特許権を行使して巨額の賠償金やライセンス料を得ようとする者を指す英語の蔑称)たちが、訴訟に何百万ドルも使いながら、自分で発明したわけでもないアイデアのロイヤリティを集めている。
どちらのシステムも完璧ではないが、公開方式のほうが技術の進歩のスピードにうまく適応できている。2年ごとにマイクロチップの性能が上がって安くなるような時代だと、20年の特許期間は永遠のようなものだ。製品を市場に出すのに10年もかけるなんてありえない。最も速い中国の工場では、食事のナプキンに書いたスケッチを数日でプロトタイピングし、数週間で量産できる。長い特許期間は医薬品のような市場には適しているかもしれないが、急速に変化する市場ではライセンス交渉や特許申請に数万ドルの弁護士費用や数ヶ月の期間を費やしているとチャンスを逃がすことになる。
—『ハードウェア・ハッカー』アンドリュー・バニー・ファン著、高須正和訳、山形浩生監訳 技術評論社

実際に、Xiaomi、Huaweiといった大企業もミドルレンジのスマートフォンは、こうしたIDHに設計を委託し、自社ではハイエンド品に設計リソースを集中させることで効率を上げている。また、OppoやVivoほか珠江デルタからは多くのスマートフォンメーカーが新しく登場しているが、IDHの存在はそうした新規参入を促す役割を果たしている。現在の世界Top10スマートフォンメーカーの過半数がこの珠江デルタに集中しており、この模倣のエコシステムはスマートフォンを革新する原動力にもなっている。
ゲーム産業であれオートバイ産業であれ、技術開発が盛んな産業は、特定の地域から多くのライバル企業を生み、製品のベンチマークや企業間の転職などを通じて切磋琢磨し、産業全体が進化していく。この珠江デルタのスマートフォン業界については、集中投資が行われた期間の短さと、膨大な投資の量が生んだ、さらに極端な例と呼べるかもしれない。

産業の集積が、自然発生的に知財の共有モデルを生むのは実に興味深い現象だ。中国というととかく巨大ユニコーン企業に注目が集まるが、筆者はこうしたエコシステムに注目している。また、最近の深圳にはこうした知財の蓄積を目当てに、エアバスやMIT等世界の大企業や研究開発期間からのラボ開設なども始まっている。日本のエンジニア達から見ても注視すべきテーマである。

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